ウィーゼル製作所物語-PAGE5-
DOS/V magazineで連載中のコラム「日々是好日日記」にて番外編としてときどき掲載している「ウィーゼル製作所物語」をたくさんのリクエストにお答えして転載します。
(注意:内容は実体験を元にしていますが、フィクションを含み,また,企業名、団体名、登場人物は実在のものとは関係ありません)
第17回分
▼199×年6月×日 ヤスリがけの話
原料課での現場実習が始まって十数日が過ぎた、ある日の朝礼の後、ワニ顔班長が黄色くなった歯を口元にちらつかせた半笑いの表情で私の方へ歩み寄ってきた。
これまでのギキョー見学(第15回分参照)といい、スポット溶接への挑戦(第16回分参照)といい、なにか新しいことを私にさせる時には、必ずこの表情でやってきた。今日はまた何かあるに違いない。
「西川君よう、スポット溶接は、もう、飽きてきたべ?」
「はあ…。」
最初はスポット溶接機でダンサンブルビートを刻むことを楽しんでいた私だが、楽しめたのは2日目までで、結局はピストンで鉄板を打ち付けるだけの反復作業であり、次第にここでも私は騒音の中の静寂(第13回分参照)を見出すようになってきてしまったのであった。
「そんでな、西川君には、本日より、新たな"任務"を与えたいと思うんだが、どうだっぺか。」
言葉では非常に信頼を寄せているように思えるが、裏があるに決まっている。あと十数日で、ソフトウェア事業部に帰還していく現場実習生に技術を教え込んでも意味がないわけだし、生産合理性が最重要視されるこのような現場で、全く場違いな人間が送り込まれてくるのは、非常に迷惑なことだったに違いない。ウィーゼル製作所が新入社員に「ウィーゼル魂」を植え付けさせるために、よかれと思って実施しているこの新人現場研修システムは、既に現場側では「迷惑だから辞めて欲しい」という姿勢なのだ。その板挟みに合う新人社員はかなりいたたまれない状況に追い込まれるのである。
「今日から、西川君はな、『やすりがけ』をやってもらうことになった。」
昨日までスポット溶接を行ってきた電源ボックスを形作る鉄板の"縁"に対してヤスリがけをしろというのだ。
「手塩に掛けて鍛えた鉄板をな、今度は磨いてやるワケよ。鍛えられ磨かれっとよ、オレみたいにいいオトコになるんだっぺよ。ガハハ。」
ワニ顔班長はそういうと、棒状のヤスリを私に手渡した。鉄板を削るのでサンドペーパーではなく、棒全体が砥石みたいになっているヤツだ。
「えーと、この作業はなんのために、行われるんですか。」
「ほれ。鉄板てのは機械で切り出してるからその切断面が毛羽立っていたり、鋭利になっているべ? んだから電源ボックスを組み上げた時に、組み立てる人が手を怪我しないようにやるのよ。」
なるほど。そういうことですか。
「しっかりやってな。組み立ての人が怪我すると大変だからな。」
ワニ顔界切っての美男子はそう言い残して立ち去っていった。
スポット溶接機の作業と違って、特定の工作機械があてがわれないし、場所もとらない。そんなわけで、工場内のラインの邪魔にならない、窓際に椅子を設置され、そこで作業することになった。
私は入社2ヶ月目の新人にして、晴れて、絵に描いたような、定義通りの「窓際族」の座を獲得したのだった。まれに見るスピード出世である。
ヤスリがけ…作業としてはまったく華が無く、スポット溶接機を使った作業と比べてかなり地味だ。なんというか、作業にスリルがない。かといって居眠りしているとかなりバレやすい作業である。
何かを組み立てている中でのヤスリがけは、一連の作業の中での緩急になり得るが、今の私はヤスリがけのみ。ヤスリがけが終わったらまたヤスリがけ。ヤスリがけからヤスリがけ。9時から5時までヤスリがけなのだ。いうなればヤスリがけ専門家である。ヤスリを使った殺人事件とか起きたらヤスリ・コメンテーターとしてワイドショー出演をしたいくらいだ。
今、シコシコやっている鉄板から、ふとワゴンに山積みになっている鉄板に視線を移すと、なんというか、かなり憂鬱な気分に追い込まれる。今、手で支えているコイツが終わってもワゴンにはアイツらが山積みだ。ヤスリがけ、ああヤスリがけ。昼ご飯食べてからもヤスリがけである。もはやヤスリ地獄である。
ひねもすヤスリがけに侘びつくす〜西川善司/勝田工場にて
こんな種田山頭火や尾崎放哉ばりの一句が今にも飛びださん境遇であった。
日も傾き掛けて終業時間も近づいた頃、私は1ワゴン分の鉄板の全てのヤスリがけを終える。この私の華麗なる6時間に及ぶシコシコ運動の成果達を、実際に鉄板から電源ボックスに組み上げるセクションまで運ぶことになった。
私はそこで衝撃の事実に直面する。
組み上げ担当者は分厚い革手袋をしており、鉄板の切断面で怪我をするはずもないのだ。さらに、私が磨き上げた鉄板の切断面は、組み上げ担当者の手によって、他の鉄板に溶接で接合されて行く。つまり、磨いた部分が他者の目に触れることは一切ないのである。
また、彼は溶接前に軽くシャッシャッとヤスリがけをしてから溶接していた。鉄板の切断面の毛羽立ちを取る程度の軽い動作だ。
私の推測でしかないが、彼はいつもこんな感じで軽くヤスリがけした後にすぐに溶接しているに違いない。多分、彼は私が一日これらのヤスリがけをしていたことも知らされてもいないのだろう。
私のヤスリがけはいわば、初日にやらされた作業時間中の工場内清掃と同様の(第12回分参照)、やってもらやらなくても何の影響もない、全く意味のないことだったのだ。
物を造る悦び…電源ボックスを組み立てている彼はそれを感じつつ作業しているのかもしれないが、彼の作業を呆然と見下ろす私の脳裏には、砂浜に造った砂の城が波に洗い崩されていくシーンが思い浮かんでいた。
(つづく)