ウィーゼル製作所物語

 DOS/V magazineで連載中のコラム「日々是好日日記」にて番外編としてときどき掲載している「ウィーゼル製作所物語」をたくさんのリクエストにお答えして転載します。

(注意:内容は実体験を元にしていますが、フィクションを含み,また,企業名、団体名、登場人物は実在のものとは関係ありません)

第1回分

4月1日 新入社員の話

 百貨店に行くとただでさえ狭いエレベータにエレベータガールが二人乗っているシーズンが到来した。片方のエレベーターガールの腕には「研修中」の腕章が。そう、4月は日本では進学、入学、入社のシーズンなのだ。

 かくいう私もサラリーマン時代があり、当然新入社員としての期間があった。毎年4月になると、このころの甘くもなく苦くもないアンニュイな思い出がよみがえる。

199x年4月1日 新入社員時代の話

 私が入社した会社「ウィーゼル製作所」は戦前からある電機メーカーで、国内でも最大規模の企業だ。それこそ炊飯器から電車、原発まで作っている総合メーカーなのである。

 入社式もバブル崩壊直後の不景気の中、ディズニーランド横の東京NKベイホールで豪勢に行われた。集められたのは大体千人前後。今日のために日本全国各地からわざわざ呼び寄せられたのだ。遠方の人はこの舞浜湾岸地域のリゾートホテルに宿泊しての参加となっている。もちろん交通費も含めて会社もちだ。ちなみに私は埼玉出身なので利用対象外だったが。

 さて、すごいことにこの入社式は二日に分けて行われるのである。

 初日は役員達の祝辞、そして先輩社員達の訓辞、そしてそのあとウィーゼル製作所がスポンサーとなっているテレビ番組、製品コマーシャルに出演しているタレントからのメッセージビデオが放映された。普段はコンサートなどで使用すると思われるホールの巨大なマルチプロジェクションモニタに松坂慶子とか陣内孝則が映し出され「みなさん初心を忘れずがんばってね」みたいなことをいっていた。毎年同じビデオを使っているかどうかは毎年この入社式に参加する以外に確認する手立てが無いので謎だが、なかなか手の込んだ演出である。

 このあと、お堅い話が連続して緊張している新入社員に対してちょっとエンターテインメントの要素をはらんだユニークなリアルタイムアンケートが行われた。会場にいる千人の新入社員にむかって「家にいくつくらいのウィーゼル製品があるか」を入社式司会者が聞いてきたのだ。

司会者「おうちにウィーゼル製品が20点以上ある人、手を挙げてくださーい!」

会場は静まり返っていた。学校の朝礼なんかだと私語によるざわめきが起こるものだがお互い今日隣に座ったものどうしなのでほとんどみな口をきかないので静かだ。

司会者「10点以上の方は?」

黒い頭が千個並んでいるだけで手が上に伸びることはなかった。

司会者「それじゃ5点以上ですかー? みんな寝ているんじゃないでしょうね?ふふふ」

「ふふふ」の笑いには誰も反応はしなかった。このとき私は「うちは掃除機がたしかウィーゼル製品だったかな。あと洗濯機もたしかそうだったような。するとうちは二点か」などと思い出していた。

司会者「それでは4点以下?」

一斉に手が伸びた。私も手を挙げた。

 このとき入社式に参加した役員達は、サンプル数1000人による「ウィーゼル新入社員は自宅にウィーゼル製品を4点以下しか所有していない」という信憑性の高い統計データが採取できたことに満足していたに違いない。

 入社式の初日は妙にシニカルな空気が漂ったまま終わった。

 私は自宅に帰ってさっそく掃除機と洗濯機のメーカーを確認したがそれぞれシャープとサンヨーで、ウィーゼル製品でないことが判明した。

 あのアンケートによる統計データは「1製品も自宅にない」というウィーゼルにとってとても悲しい情報も含んでいることを今更ながら司会者と役員達に伝えたい。

199x年4月2日 配属決定の話

 入社式二日目はいよいよ配属先決定の日である。実際に決定されるのは具体的な部署ではなく、事業所単位の配属先で、大まかに勤務地域が決定されるだけだ。とはいえ、北海道出身の人が九州の事業所に配属される可能性もあるわけで、ある意味人生において最も重大な転機の瞬間の一つでもある。具体的な部署配属先は今後各事業所において行われる長い研修教育期間のデキ如何で決定されることになるのだ。

 入社式のスタッフにより、配属先が書かれている細長く折りたたまれた紙が各席に配られた。このときばかりは連日おとなしくしていた新入社員達もさすがにざわめいている。私も恐る恐る紙を開く。

 私は学生時代はコンピュータを使った音楽分野の研究をしてきたのでそういう方面の研究開発がやりたいなぁと思っていたのだが、二流大学のマスターを出た程度の能力ではこんな大企業の研究所に配属できるはずもない。私の紙には「ソフトウェア事業部」と書かれていた。現実は厳しいのだ。

 のんびりとした初日と違い、入社式二日目はあわただしい。いきなりこの時点から各事業所への移動になる。北海道の事業所に配属になったものは北海道へ、九州地方の事業所になったものは九州地方へ今から行かなくてはならないのである。ホールの入り口付近には、各事業所行きのバス番号や今後の予定について書かれた紙が張り出されており、これを見るためにホール入り口付近はかなりの混雑ぶり。私は自分の乗るべきバスを探し出しそれに乗り込んだ。

第2回分

199x年4月2日 コネの話

 バスはソフトウェア事業部のある横浜へと出発した。

 ウィーゼル製作所のソフトウェア事業部は「ソフト」といっても大型コンピュータやオフィスコンピュータなどのソフトウェアを開発する事業部で、いわゆるPC用のパッケージ売りのビジネスソフトなどを開発しているようなところとはちょっと毛色が違う。最近はPC分野のソフトも手がけるようになったようだが、ウィーゼル製作所はこの分野には他社より出遅れたため苦戦しているようだ。

 バスには50人前後の新入社員が乗り込んだ。ここにいる全員がいわゆる「同期」といわれる人間となるわけなのだ。うるさいざかりの男ども(&若干名の女)が一同に介した割にはお互い初対面のためか車内は比較的静かだった。ただ、後ろの席の内川という妙に陽気な関西系の男が一人で「わし、ソフトウェア事業部なんて来たなかったのになぁ。」などと大声で叫んで笑っていた。初対面の大勢を前にしてなんとも大胆な発言だが、不思議とイヤな思いがしなかったのは自分ももしかしたら少なからず彼に共感していたからかもしれない。

 内定時はどこの部署でもいいやと思っていたのだが中1のときコンピュータを触り始めてからずっとコンピュータを使った音楽、エンターテインメント系の分野のことをやってきた自分にとっては、やはりマルチメディア系のソフトウェアの研究開発の方が向いているのではないか。ソフトウェア事業部がやっている大型コンピュータも面白そうだが、ウィーゼルは総合電機メーカーなのでそういった部署もあるし、やはりそういう部署の方が良かったなぁ。そんなことを私も考えていたのだ。

 内定が決まって会社から送られてきた「配属先志望調査書」には私はこの「ソフトウェア事業部」は確か第五希望あたりに書いた。まぁ第一志望がとおるとは思わなかったがまさか第五希望とは…。私がよほど高望みしたか、ソフトウェア事業部に「買われた」かのどちらかだろう(十中八九前者だろうが)。

 しかし、もしかしたら私がソフトウェア事業部に来ることは入社以前に、それこそ十中八九決まっていたのかもしれない。というのも私みたいなちゃらんぽらんな人間がウィーゼル製作所に入れたのは他ならぬ第三者の口添えがあったからこそなのだ。その口添えというのは某国立大の種田教授によるものだ。

 いきさつはこう。

 私は院生時代、どんな変な研究分野でも自由にやらせてくれる塩見教授の研究室に所属していた。私は当然コンピュータ音楽関連のことをやっていたわけだが、毎日、遊びだか研究だか分けわかんないことをやっていたある日、塩見教授が声をかけてきた。

「西川君、私の後輩の種田さんの授業を聞いて見ませんか。彼は今、うちの学部生の授業を客員講師という形で週一回やってもらっているのですが、非常に面白い授業なので潜り込んで聞いてみてください。」

 大学院生は基本的には院生向けの授業しか取れないし、それ以外のを受けたところで卒業単位には関係ないのだが、とにかく自分の担当教授があそこまで言うんだから…ということで以後種田教授の授業を聞くことにした。

 種田教授がやっていたのは「システム工学」という教科で、名前は難しそうだが、実際は非常に面白愉快な内容だった。なにしろ教科書は使わず、最近、世の中に起こった時事ネタを取り上げ、その事件や話題に潜むシステム的な問題点を議論するというものだったのだ。話題は、新都庁建設に使われた石材からは自然界の何倍もの放射線が出ている…というような雑学講座的な内容から、スーパーコンピュータなどの1GHzオーバー世界になると数ミリ単位の配線レベルの誤差から信号の遅延が生まれ、これがシステムパフォーマンスに影響を与えかねない…といった本格的なプロセッサ・アーキテクチャの話まで、多岐多方面に渡り、世の中のあらゆる「システム」について理解していこうという趣旨だったのである。

 私はすっかりこの講義にハマってしまい毎週、学部生の授業なのに潜り込んで聞くようになった。

 毎週、授業が終わると種田教授は塩見教授のところへ挨拶と雑談をしにやってくる。この雑談には私をはじめとした塩見研究室のメンバーが同席するのもいつのまにか習慣となり、この時にうるさくでしゃばっていたのが私だったのだ。

 とある日の恒例の雑談の時のことだった。

「なに、西川君は今度就職かね。ふうむ…。今度、私はウィーゼルのソフトウェア事業部にいく用事があるんだが、いっしょに来てみるかい。」

 種田教授は自分の研究室でウィーゼル製作所のソフトウェア事業部と連動した研究をしており、年に何回か訪問することがあるらしい。そのときに事業部長と合う機会もあるので紹介してくれるというのだ。

 実際、ウィーゼルのソフトウェア事業部に種田先生と訪れ、この時に本当に事業部長に紹介してもらい、そのあと数週間後に内定が決まってしまった。

 コネの効果というものは恐ろしい。その年も就職浪人も珍しくないというほどの求人難だったのに、「人生をなめきっている」という罵声が聞こえてきそうなくらいの幸運に恵まれつつ、私の就職活動はその日限りで終わってしまったのである。

 …が、その強力なコネゆえに配属はあらかじめ決まっていたのだろう。

 就職活動をしている学生諸君に言っておこう。

 コネはすばらしいものだが、その本質をよく見極めてから利用した方がいい。

 と、そんな偉そうなことを考えているうちにバスは横浜に到着した。

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西川善司、研究に没頭すの図

 

第3回分

199x年4月2日 すばらしき寮生活の話

 横浜市の某区に到着したバスはわれわれを下ろし、走り去っていった。引率役の人事部の小石という男がわれわれ新入社員一同を出迎え、これから住み込むこととなる寮へと案内した。

 ウィーゼル製作所では、上司部下との縦つながりの関係もそうだが、同期間の横つながりの人脈形成を重視するとかで、現在すんでいる場所がどんなに勤務地に近かろうが遠かろうが強制的に寮に入れられるシステムが採用されている。ほとんど全寮制高校感覚の制度だが逆らう事は許されない。

 歩くこと3分で到着したその寮は「珠心寮」という駄洒落みたいな名前がつけられており、鉄筋コンクリートのアパートふうの建物で、その見かけからしておそらく築20年以上は立っていると思われた。玄関脇には寮の管理人がいる部屋があり、話によれば寮監夫婦はここに住み込んでいるらしい。

 我々は玄関を通り廊下を抜け食堂に通され、寮のスタッフ…といっても寮監夫婦と食堂の料理人だけだが…が紹介された。

 寮監は間宮という名の年配の男で、鬼平犯科帳の中村吉右衛門の人相を悪くしたような感じ。なにやら手ごわそうな雰囲気が漂っている。

 寮監の紹介と寮施設の説明が終わると人事部の小石がこう切り出した。

「それでは今から部屋割りを発表する」

部屋割りって…おいおい…一人部屋じゃないのか。

 違うのである、「横の人脈形成」とやらのためにはプライベートうんぬんの議論の介入は許されないのだ。もしルームメイトがホモで、横の人脈形成どころか違った意味の「縦のツナガリ」まで実現してしまったら、ウィーゼル製作所はどんな保証をしてくれるのだろうか。

 かくして私の部屋は502号室と発表された。ルームメイトとなる男、渡辺は見た感じ普通の男だが、いつ牙をむいて襲ってくるかわからない。注意せねば…。なんとしてもアナザー「縦ツナガリ」だけは未然に防がねば。

 502号室は5階にある。5階の二番目の部屋ということだ。しかしエレベータはなかった。

 予期せぬ嫌がらせの連続に自分の運命のふがいなさを呪ったが、いつまでも一階にいてもしようがないのでシブシブと階段を上った。この日は寮生活第一日目を想定して日用品および着替えなどを持ってきたために、カバンが重い。5階までの道のりは相当険しかった。大体消防法で何階だか以上の建物はエレベータの設置が必須じゃなかったか? まさかこの寮はそうした法規が制定される以前の建物なのだろうか。

 部屋にやっと到着。ドアを開けるとそこは渡辺と私の、夢の居住空間が広がっていた。部屋の広さは八畳弱、二段ベッドが2つ両サイドにあり奥には机が二つ並んでいるだけの部屋だ。調理などを行える設備はないし、トイレも風呂もなければ電話もない。1990年台の横浜とは思えない処遇である。

 二段ベッドが二つあるという事は、4人が寝られるということである。まさか、あと二人この部屋にやってくるのだろうか。ツーペアーのアナザー「縦ツナガリ」の脅威を感じながら私は無言に荷物を整理し始めた。

    *    *    *

 荷物の整理も一段落した。

 明日から週末、土日と二連休なので、本格的な引越し用の荷作りのために今日から実家、あるいはもともと住んでいた場所に帰ることができた。茨城県出身のルームメイトの渡辺は、もう自宅の方へ帰ってしまいもうここにはいない。私は今日はここで寝てしまうつもりだったので、とくにあとはやることもない。「そうだ、夕食までの時間、会社側に提出しなければならない書類を今のうちに書いてしまおう」と思い立ち、書類をカバンから引っ張り出した。机に向かおうとした瞬間、重大なことに気づいた。

 椅子が無いのである。

 隣りの渡辺の机の方にも無い。部屋を飛び出し、同じ同期が入居した両隣の501,503号室を訪ねて聞いてみたところ、彼らの部屋にも造り付けの机があるものの椅子はなかったという。聞きまわってみると今日入居した全同期の部屋に椅子は無いことが判明した。机はあるのに…。

 寮監の元へこの事実を告げに行くと「椅子なんぞない。自分でそろえろ。」とだけいい窓口を閉めてしまった。

 「やさしい、かんたん、きもちいい」のキャッチフレーズでテレビCMをあらゆる時間帯で流しているウィーゼル製作所だが、社員に対してはまったく正反対の仕打ちだ。しかしここで負けてなるものか。

 なんとか意地でも椅子を調達したい…。ポクポクポク…。チーンという音ともに名案が浮かんだ。寮内の食堂にパイプ椅子が余分に積み上げられていたはずだ。あれを一個頂戴しよう。そう思い食堂へ向かおうとした瞬間、管理人室の窓口がピシャと開き「おい、今のヤツ! 食堂の椅子もってったら承知せんぞ!」という叫び声が上がった。どうやら、この私の「名案」は毎年、新入社員が思いつくものらしい…。

 5階の部屋までの往復の道のりが無駄足となった私は、肉体的、精神的の両方からの疲労に負け、そのまま部屋の床に寝転び、椅子のない机を横目で見ながら床面を台にして書類を書き始めた。

     *    *    *

 突然鳴る「ピンポンパンポーン」のチャイム音。ハッとして真っ暗な部屋の中で目を覚ます私。どうやら書類を書きながら寝てしまったようだ。先ほどの鬼平寮監がなにやら放送でしゃべっている。

「あうあうあうあうーあうーあうーうーあ」

 館内放送のスピーカーは廊下にしか設置されておらず、なおかつ廊下の残響効果がすさまじい。それに加えて寮監間宮のしゃべり方も声が低く舌回りが悪い。なんなんだ、このうめき声は!?と思って聴力を最大限にして意識を集中したところ

「…にぃーお電話でぅぇーす。」

だけが聞き取れた。

「なにい!?」

 自分への電話だろうか。あわてて部屋から廊下に飛び出す。当然、もう一度繰り返しがあるものと期待して耳を澄ませたが、ただただ沈黙だけが続くばかり。

 ウィーゼル社員としての第一日目はこうして幕を閉じた。

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いったい誰への電話なのか分からない寮監間宮の電話取次ぎ館内放送。放送が聞こえるたびに部屋から飛び出してくる寮生達

 

第4回分

199x年4月3日 すばらしき寮生活の話2

 私は新品同様の背広をきて寮1階の食堂に向かった。食堂には、やっと見慣れ始めた同期の顔がポツポツとある。目があってもまだ挨拶はない。お互いまだ「見知らぬもの同士」という線引きなのだろう。別に不快感はない。

 同室の渡辺と朝食を済ませ、鞄を抱え、寮の玄関に向かう。靴を履き替えようとしたところ、寮の管理人夫婦のおばさんの方が我々を呼びとめる。

「ちょっとあんた達、ブレーカーは切ってきたでしょうね。あと出勤するときは在室か外出かどうかのプレートを合わせていってよね。」

そうなのだ。ウィーゼル製作所ソフトウェア事業部の寮ではなぜか外出するときには自室の電気のブレーカーを落としていかなければならないのである。つまり外出中は部屋の中に電気を通させてもらえないのである。なんなのだその意地悪な措置は? 冷蔵庫とかオーディオ機器のタイマーとかはどうなるのだ。確かに寮の電気代というのは寮生間での「割り勘」なのでちょっとでも節約したいという意図は分からないわけでもないのだが、ただ人間として最低限の生活はさせてほしい。我々はもう大人だし、しかも無理やり詰め込まれているんだし(この謎は次回解明される)。

「ああ、どうしても一日電気を使いたいっていうんならね、この書類に使いたい機器とその理由を書いて提出しなさい。」

 慌てて自室にブレーカーを落としに戻る同期数名。私はブレーカーのことは忘れていたが同室の渡辺がこれをちゃんと覚えていて切ってくれていたようだ。ぶつくさいいながら玄関を出た我々の背後からババアはまた叫ぶ。

「ちょっとあんたたちー。外出するときはプレートを直してけっていったでしょ!」

我々はしぶしぶ玄関に戻り、自分の名前のところのプレートを「在室」から「外出」に変えた。

 あんなにプレート管理に気合が入っているんならばそれに見合うくらいの電話の交換をして欲しいものだ。

199x年4月3日 すばらしきバス通勤の話

 我々が配属されたウィーゼル製作所のソフトウェア事業部は寮からバスで40〜50分位のところにある。ちなみに自転車で行くと15分から20分くらいで行けるらしい。なぜバスでいかなければならないかというと、バス通勤が禁止されているから…という。ソフトウェア事業部は町の中心部、駅の近くにあるので、そちらへ向かうことになる。道路は渋滞、当然バスの中も非常に混雑する。

「寮っていうのは通勤を避けて出勤出来るメリットがあってこそ、その存在意義があるってものだろうに…。」

自転車でバスや車の合間をすり抜けていく高校生を見ながらふと考えた。

 あまりにも渋滞が激しいため、バスがまったく進まない。同じところへ出勤すると思われる先輩寮生(社員)たちは途中下車して歩いていくようだ。後に続く同期達多数。私はバスを降りず、空いた席に座り、到着までの間、眠りにつくことにした。

199x年4月3日 新入社員教育の話

 バスはなんとかギリギリに横浜市内の某駅に到着。ソフトウェア事業部の社屋に走る私。新入社員の集合場所である講堂にも集合時間ギリギリセーフで間に合った。歩いて先に到着していた数名の同期は余裕の表情だ。

 さてさて、今日から数日間、基本的な新人研修がこの講堂で行われる。

 全員起立のあとの「おはようございます」の挨拶の後、事業本部長や人事部長のありがたいお話がはじまった。これも長いだけで無事に済み、ついに実際の研修カリキュラムが始まった。

 ウィーゼル製作所の新人研修は日本企業の中でも他に類を見ないほど徹底しているという噂だ。このあたりはさすがは大企業といったところか。

 プリントが配られ、人事部勤労課の土田が壇上に立った。プリントを見ると「交通安全の心構え」とあった。なぬー。私はどこぞの小学校に迷い込んでしまったのか。よこにいる渡辺も動揺を隠せない様子だ。

 土田は、「私がこれから君達の教育を担当するものだ」という簡単な挨拶の後、基本的な交通ルールの解説を始めた。このときどうして寮生がバス通勤(もしくは徒歩通勤)に限定されるかが明らかになった。それは…危ないからである。自転車通勤、バイク通勤は交通事故に合う可能性が高く、怪我をしたり死亡したりする可能性があるからなのだ。ガーン。私はこの会社側の心遣いに猛烈に感動し、目頭が熱くなった。そこまで、ボクたちの体を気遣ってくれるとは、親以上ではないか。今時、そこらの中学、高校でもここまで手厚く扱ってくれるところはあるまい。猛烈な感動と脱力感に包まれながら交通安全の時間は終了した。

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第5回分

199x年4月3日 消防の心得の話

 一回目の新人研修の講義が「交通安全」だったことですっかり度肝を抜かれた同期達は、講義と講義のあいだの休憩時間を不安の中で過ごすことになった。約50名のまだお互いをよく知らないもの同士が、先ほどの予想しえなかった講義内容について話し合い、ややざわめきたっている。そう、入社式以来、初めて見せた連体感かもしれない。

 そうこうしているうちにニ時限目がスタートした。「交通安全」のあとにはなにがくるのだろうか。

 テキストが講師によって配られる。

 表紙を見るなリ目を見張ってしまった。そこには「消防の心構え」とあったのだ。

 私はこの大企業にコネを使って推薦でポンとはいってしまったバカヤロウだが(第二回参照)、私の周りにいる連中は名立たる大学、大学院を卒業し「ワタクシこそがエリート」と呼ばれる連中ばかりである。そういう連中が「火災の出火原因のおおくがタバコの火の不始末からきています」とか教わっているのだから、なかなかシュールな光景である。

 横を見ると、前の時間もしきりにメモをとっていた、まじめな一流私立大卒の古原君がくばられた「消防の心構え」のテキストの余白に「タバコの火に注意」とメモをとっていやがる。

 さて、最初はバカバカしくてやってらんなかった消防のお話もちょっとおもしろい方向に進んできた。

 どうやら、ウィーゼル製作所には私設消防団というものがあるらしい。

 ウィーゼルは乾電池から原子力発電所まで作っている巨大メーカーだが、そのどこの事業所、工場、開発本部、研究所、ありとあらゆるところで私設消防団を置いているとのことだ。それも、ウィーゼル系列の警備会社などを設立してそこに任せているのではなく、その職場で働くウィーゼル社員が、自らの肉体をきたえ消防技術を磨き、自主的に(といっても強制的なんだが)組織しているのだそうだ。

「はっはっは。驚きましたか。私もこんなかっこうをしていますが、第二OS開発部で主任をしているんですよ。」

と自身ありげに笑っていたが、服装がどうみても警備会社の制服みたいだ。紺色のブレザーでなんだか仰々しいワッペンが光っている。

 どうやら、各部から数名消防隊員が選出される仕組みになっておリ、選ばれた社員にはこの制服が支給されるらしい。万が一、火災が起こってもこの目立つブレザーを着た社員の指示に従えば安全に逃げられ、あるいは適切な消防活動が行える…という、なんだかユートピアみたいなシステムになっているらしい。

 なお、消防隊員に選ばれてしまった社員は毎週何日間か毎日決まった時間に消防訓練を受けることになる。学校の運動部と同じで訓練のある日は、朝は始業時間の何時間も前に出勤しなければいけない。しかし、その日の仕事は終業時間より何時間か速く退社できるらしい。ただ、そのあとみっちり訓練があるらしいが。

 これは、新人研修初日からだいぶ経ってから気づいたのだが、ある特定の曜日の午後3時あたりから「いち、にぃ、さん、しぃ」というランニングをしながらの掛け声が窓の外から聞こえたりしていたのだが、どうもそれが「早く仕事を終えての」訓練だったようだ。

 ここまできいて「うえぇ」といやがる声が何人からかあがる。今時の若者ならばあたり前の反応だろう。

「はっはっは。消防隊員になるにはまず責任感がなければダメですからね。安心してください。今、声をあげたような連中に任されることはないですよ。」

と、「自分には責任感がある」ことを間接的に伝えることに成功した講師は誇らしげで勇ましかった。

「そうだ。消防隊員になるとすごい特典があります。それは、ここソフトウェア開発事業部のすぐ裏の寮、または社宅に住むことが出来るんです。通勤時間はわずか30秒ですよ。はっはっは」

要するに火災が起こったらすぐにかけつけられるように近くに住まわされるというわけだ。「ちっともうらやましくない」という空気が立ち込めたなかで、講師は、どうしてここまでウィーゼルが消防活動に積極的なのかを語り始めた。

 どうも第二次世界大戦前、黎明期のウィーゼルの基礎を作り上げたともいえるモーター生産工場で火災が発生し、対策がよく練られていなかったことから、工場が全滅するという大惨事があったらしい。これにより、業績が悪化、復旧もうまくいかず、倒産直前にまで追いこまれたそうだ。これを教訓に「自分のところの火事は自分で消す」という精神が生まれ、こうした徹底した私設消防団が設置されたのだという。怖いものなしのウィーゼルも「火事は怖い」というわけだ。

 前回「外出時に電気のブレーカーをいちいち落とさなければならない」という変な寮内規則を紹介したが、どうやらこれは「防火」からきているらしい。ウィーゼルの謎一つ解決。

 ん?ちょっとまてよ。じゃーなんで寮は禁煙じゃないんだ? 各部屋から漏れて来るタバコの煙が廊下にまで匂ってきて臭いし、食堂も時間帯によってはタバコくさい。ブレーカーを落としていないことと、寮内でたばこを吸うことと、どちらが火災の原因になりやすいのか考えてから寮の規則を作っているのだろうか。

 大嫌煙家の私は古原君の「タバコの火に注意」というメモを横目で見ながら、「矛盾」という名の無間地獄の中をさまよっていた。

つづく


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